論理空軍(Ju87 G-2)
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Ju87
G-2
製作過程 物理的
論理空軍
工事中

  Ju87 G-2 (論理空軍 episode zero)


  音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE〜

1999年9月1日、P-MODELは「音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE〜」をMP3リリースし、同月22日、同アルバムをCDとしてリリースしました。
そこから始まったアルバムと同名のツアー。5ヶ所6公演が行われました。

1999/10/04 渋谷 ON AIR WEST
1999/10/05 渋谷 ON AIR WEST
1999/10/12 名古屋 CLUB QUATTRO
1999/10/14 札幌 ベッシーホール
1999/10/26 博多 ビブレホール
1999/10/28 大阪 BIG CAT

この直後には、「音楽産業廃棄物 取扱技能者総決起集会」と題してツアーファイナル的なライブが開催されます。

1999/11/06 渋谷 ON AIR EAST

渋谷 ON AIR WEST(現在のShibuya O-WEST)は、スタンディングキャパが600人という、現在の平沢進/核P-MODELでは考えられないほどに小規模なライブハウスでしたが、 当時のP-MODELとしても小さめのハコでした。

そして、ここからお話しするのは、ツアー2日目、10/05のお話。


  1999/10/05 渋谷 ON AIR WEST

この日のライブ中盤、ちょっとした事件が起きます。

平沢さんは前日(ツアー初日)のMCと同様に、ユンカースが第二次世界大戦時にドイツで活躍した戦闘機である旨、説明を始めます。 ツアー初日は「ユンカース…?…ユンカース…?」といった具合でユンカースの型番が思い出せず、スタッフ(私の記憶では福間さんだったと思うが自信がない)から 「Ju87です」というアシストを受けて、「ユンカース Ju87この飛行機で…」、とMCしていたのです。

しかしこの日の平沢さんは、ユンカースの型番をスタッフには尋ねず、ユンカースの説明の後に最前列の観客を指名し、あろう事か「型番については彼が言います」と言い放ったのです。
前日のライブで一度言っただけの型番なんて、いったい誰が覚えているというのでしょうか。

しかし指名された観客は、「Ju87 G-2」と、こともなげに、しかも前日よりも詳細な型番を返したのです。会場爆笑です。
思いがけず正しい答えが返ってきた平沢さんはさらに「その特徴、彼が言います」と再び同じ観客に無茶ぶりを重ねます。
その観客は続けて「羽が曲がっている」とこれまたあっさり返します。会場は再び爆笑。
平沢さんは「その通り…しまった。観客と会話してしまった。平沢、一生の不覚。」と言い放ち、またもや会場爆笑、という一幕がありました。


  なぜその観客は型番を言えたのか?

時は数時間前にさかのぼります。

前日、ツアー初日に平沢さんがユンカースの型番を覚えていなかったのを見て、ツアー2日目、私とパートナーは「また覚えていなかったら教えてやろう」と考えました。
論理空軍(飛行機)そのものをデザインされ、ほぼ全編CGの論理空軍(楽曲)のPVをクリエイトされた、大和久マサル氏のサイト「分岐楼閣」へ飛び、 論理空軍の記事をチェックし論理空軍のモデルとなったユンカースの「Ju87 G-2」という型番を暗記し、私たちは家を出て会場へ向かったのです。

会場である 渋谷 ON AIR EAST は、通常ステージと客席の間にバリケードがあるのですが、少なくともこの日はセンター付近のバリケードは撤去されていました。 (ツアーファイナルの時はあった。)
この日、私たちのチケットは非常に番号が良く、最前列のほぼ中央。やや福間さん寄り(上手)。バリケードのないステージ間近の位置です。

ライブは「論理空軍」で始まり、新しいアルバムの曲を中心に進行していきます。もちろんライブ自体は大盛り上がり。

そのライブも中盤に差し掛かったころ、前日と同じように平沢さんによるユンカースの解説が始まります。

私は、平沢さんに向かって「Ju87」と声を出し、型番をサポートしたつもりでした。
私の声は観客の歓声に消されて、周りの数人にしか聞こえていません。
しかし、かろうじて平沢さんの耳には私の声が届いたようで、その瞬間、最前列やや上手の私を「じろり」と睨みつけ (この時、結構怖かったw)、気を取り直して前を向いたと思ったら、 ユンカースが第二次世界大戦時にドイツで活躍した戦闘機である旨、急に早口で説明しました。
そして「型番については彼がいいます」と、私を指名したのです。

はあぁぁぁぁぁぁぁぁ?! 私の心臓はバクバクバクバク、脳内は真っ白。 つい数秒前までの、平沢さんが覚えていない型番を教えてやんよ、的なナメた気分はどこへやら。
それでも、なんとか記憶にある型番を叫びます。「じぇゆう はちなな!!」隣のパートナーが小声で「G-2」とサポート。私はあわてて付け足し「じぃつうぅ!!」と叫びます。

平沢さんは「Ju87 G-2、だそうです。」と私の言葉を復唱します。
助かった。切り抜けた…。私は胸をなでおろし、落ち着きを取り戻そうとしているその時、続けて平沢さんの言葉。「その特徴、彼が言います。」

はあぁぁぁぁぁぁぁぁ?!(再放送) 再び私の心臓はバクバクバクバク、脳内は真っ白、冷や汗ダラダラ、足はガクガク。
瞬時に私の口からは「知らん…」と小声で漏れてしまいました。

しかし多くの観客は、平沢さんが型番を言わせる無理難題を言い、観客がなぜか答えてしまった、平沢さんはさらに無理難題を言って観客を苦しめる、 という展開に見えていて、会場は大盛り上がりです。
平沢さんはその歓声が収まってから、私に答えさせようとしていました。つまり、ほんの数秒間のシンキングタイムが私に与えられたのです。

知らん…はぁ?特徴?わからん、何?どういうこと?知らない。わかりません。わからん。わかりません。
わたしの脳内は「わかりません」で占められました。歓声が収まって、平沢さんが、どうぞ、と私にキュー出しをする。
私の口が「わ」の形になったその刹那、私の口から出た言葉は「羽が曲がっている!!」でした。ギリギリの局面で電光石火の閃き。なんとか答えを絞り出したのです。

平沢さんは、「その通り…しまった。観客と会話してしまった。平沢、一生の不覚。」と言い放ち、またもや会場爆笑だったのです。
「今のは、なかった事にして下さい。」さらに会場爆笑。

つまりですね、これ全部、平沢さんが「私を睨みつけていた数秒」で計算していたんです。

この観客を指名すれば、誰も覚えていないはずの型番をスルリと言って、その意外性でウケる。
そして次の質問は、この観客が答えられようが、わからないと言おうが、会話としては2往復したことになり、観客と会話してしまったと言い、またウケる。
この瞬時にシナリオを作り上げる平沢さんのスキル!

平沢さんは何事もなかったように、これがユンカースです、と両腕を左右に開き、ユンカース スツーカの逆ガルウィングよろしく少し肘を曲げる、 というポーズを福間さん、小西さんと共にやってみせ、ライブは次の曲へと進んでいきました。

あぁ、合っていた…のか。正解だった…のか。わたしは徐々に落ち着きを取り戻していきました。

やがてライブが終わり、ジフさん(※)が駆け寄ってきて「マヒトさん!流石です!」と興奮気味に絶賛してくださいました。
(※ 現、平沢博物苑のジフさん)

ジフさん…違うんだ。これは全て平沢さんが描いたシナリオに過ぎないんだ。私は釈迦の手のひらの上で踊っていた滑稽なサルでしかなかったんだ…。


  後日談

当時、HCBからの知り合い、仲間内からは、平沢さんは、ひ組の中の人だとわかっていて指名したんじゃないか?とか、 スタッフから正しい型番を仕込まれていたのか?などと言われましたが、もちろんそんな訳はなく、実はこういう経緯だったのです。

また、私の知らないところでは、たまたま指名した観客が軍事オタクだったというウワサが流れていたようです。 もちろん私は軍事オタクではないですw

このライブでの一連のやり取りは、後々ニコ動にもアップされており(誰かが無許可で録音していた?) 私も後々教えられて見ましたが、答えているのは「今敏監督」だとコメントされていました。
今敏監督は高身長なので、会場にいらっしゃると結構目立つのですが、最前列で観覧することはなかったですw
(ニコ動の動画は、最近検索したが見つけられなかった。)

私も当時、公には語らず、仲間内にはちょろちょろ話していましたが、実はこういう経緯なのです。 いつかはこのことを書き残さなければと、良くいえば温めていた、悪くいえばほとぼりが冷めるのを待っていたのですが、いつの間にか25年も経っていました。

もう時効だからいいですよね。


  Ju87 G-2

論理空軍のモデルとなったのは、Ju87 G-2。フルネームで言うとユンカース スツーカ タンクバスター。

「Ju」は「ユンカース社」、「87」は「スツーカ(機種名)」を表します。
ユンカース スツーカで有名なのはG型よりもB型やD型です。


D型。航空記念公園の展示プラモデル。

さらにD型の主翼の下に対戦車砲を装備したのがG型(タンクバスター)です。


G型。同上。

戦闘機ではなく急降下爆撃機とするのが一般的ですが、そもそも戦闘機と爆撃機の違いにあまり明確な決まりはないようです。

この型番言わされ事件以降、仲間内ではユンカース スツーカのプラモデルを作るのが流行。普段プラモデルを作ったことのない人も作り出し、 G-2が売ってないからB-2を買ってきたとか、ハセガワの1/48よりもタミヤの1/72の方がコンパクトでいいぞなどと盛り上がっていました。
このツアー中は、同時多発的にユンカース スツーカのプラモデルを作るのが流行していたようで、ツアー3日目(名古屋)では、 平沢さんが「ユンカースのプラモデルを作るのが流行っている。」とMCされたり、作ったユンカースはライブ会場で献上するとか、運営にカツアゲされるとか、 なんだか混沌としていましたw

ツアーファイナル、私もきれいに作ったユンカース スツーカを持って行ったところ、ライブ会場でバリケード内側のスタッフに「その飛行機で遊んでいる所を撮らせてください」とお願いされ 「え、嫌です」と断りましたw

さて、それからしばらくした後、私の論理空軍愛が高まりすぎて、ユンカース スツーカを改造して論理空軍をガチで作り始めることになるのでした…。







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